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食べ物のおいしさについて、頭の中の座標に位置付けることができない。今食べているこれとさっきのこれが違うことはわかるけれど、その違いは何で、もっと絶対的な語り方をするならどういう言い方をすればいいのか皆目見当もつかないとはこのことだと思う。隣接する感覚であるからというのもあるだろうが、味覚も嗅覚と同等に難しいと思う。どうしてみんな日常でそんなに味を見分けることができるんだろう。それともそこまではしていないのだろうか。たとえば感知する層のようなものが重なっていればいるほど良い食べ物なのだろうなと思うけれど、別に層の少ない食べ物も普通においしい。大体のものをおいしく食べられるのだから十分だとは思いつつも、それらの感覚を具体的に理解しているかというとぜんぜん理解していないまま毎日何かを食べているという事実に少し愕然としてしまった。一時期話題になった分子ガストロノミーとかを食べたら理性が崩落してしまうかもしれない。

渋谷を高いところから見る。地上から見ると圧倒的な仮想現実が四方八方から炸裂して目眩、あたりでは笑い声が、話す声が無数の現実を露出させていてその混み込みとした情報量で思考はぐちゃぐちゃに散らかる街も、もっと高いところ、ビルの屋上が見えるところから見ると、なんてことはない構造物の集まりでしかなく、踏み潰すなら逆に人間の方が難しいかもしれないと思えるくらいにはあの街の全容は脆く見えて、なんだか拍子抜けしてしまった。高いところに登るエレベーターに乗るときに一番怖いのは、ガラス張りで外が見えるときではなくこの構造体を支える鉄骨やそれを固定する大きな螺子が見えたときだ。都市は得体の知れない高次の存在が作ったわけではなく、たとえば今すれ違ったかも知れない誰かの集合が手足で組み上げた存在なのだという事実の露出を目撃したとき、何か途方もない気持ちになるのは結構あるあるなんじゃないかと思う。