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なかなか起きられなかった。昨日の夕方も沈むように寝ていたのに今日の朝も同じように沈んでいた。おそらく気圧の変化があったものと思われる。

演劇を見にいった。電車に乗って、乗り換えて何度か行ったことのある劇場にまた行った。それなりに正当な演劇で、物語があって役があって時間に沿ってそれぞれが演じられていくようなもので、そういうことが行われているのを見ながら、私は今何を見ているのだろうと思った。それは演劇の質がどうこうという話ではなく、どこまでも真剣に仮構を体現する実在の織りなすことを私はどの位置からどうして見ているのだろうということを思った。作中、本当はほとんど身動きの取れない状況である登場人物たちが空想で遠くに行くくだりが何度かあり、演劇の基本機能のことを思ったりしたがそのような原理性みたいなものに媚びている作風ではなく、そのことが好ましかった。当日のパンフレットでは題材とされている過去の凄惨な事件についてが簡単に述べられており、その足音をどこかで探しながら客としては見ることになったのだが、その事件そのものはたった一人の俳優の語りによって描写され、通過される。そのことにとても力があると感じたのは、書かれた台詞の力でもあっただろうし、俳優の、演出の力でもあったと思う。距離があって、想像するしかない人たちがそれでもそこに触れようとするとき、迂回路を取ることが最も切実な描写たり得るということ自体はとっくに発見されている事態だとは思うけれど、それをよく体感できたような気がした。劇中、ある役がモノローグで自分について語り始めるのだが、途中から一人称ではなく自分の名前を指した三人称での語りに静かに移行するのも、同じような作用を感じさせるものだと思った。見終わった後、それでも他者としてしかあれない自分がこの作品の可否を如何様に判定できるのかもわからないということを考えていたが、アフタートークの回だったのでそのまま聞いていたら作演出の方が他人事であることについて考えたかったということを言っていて、意識せずともその思惑に乗っていたということだったのかもしれない。ひどいことが起こるのは突然に見えても本当は順番に種が撒かれていて、それが酷いこととして表出するのだ、その種が撒かれていること、本当は何かが起こっていることを見ないふりをしている人のことを描きたかったと言っていた。かなり長い射程で色々な時代に対して有効な作品であると思った。そのほかにも色々聞くことができて楽しかったが、何よりも多くのことを調べて考えてきたことを伺える内容でとても信用できる作り手だと思った。見られてよかったな。

順番は前後するけれど行きの電車で、何年も前に好きだった曲のことをふと思い出して聞いたら今でも好きで薄緑色が揺らいでいるみたいな気持ちになった。不思議なくらいに体が引っ張られて、魔法みたいだった。