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はたして満月には間に合った。ベランダに出て首をあげると、紺色の空気の向こう側に散る星々がくっきりと見えた。そのまま端の方まで寄ると、頭の上のずっと高いところに、金色の月が煌々と、輪郭を赤に青にゆらしながら燃えていた。視覚はクレーターを正しく捉えることができなくて、視線がずれるたびにそれはまるきり姿を変えてしまう。目に焼きつく、と初めに言った人はそのとき何を見ていたのだろう。月から視線をそらせば、文字通り目に焼きついた月の影が、夜空の中に黒々と泳いでいる。

少し冷たくなりかけた空気の、湿ったにおいと重たさが、どこか懐かしいような気がした。そう言えば、散歩をするならいつも夜だった。もう夜にベランダに出なくても生きていけるようになったのだ。

 

わたしはわたしの好きな顔を姿をしていないし、好きな声もしていない。23も半ばのくせに、まともに服も選べない。どちらを向けば適切と不適切の境が見えるのかもわからない。コンビニで百円しないお饅頭の包みもうまくひらけない。絵をかくにしても写真を撮るにしても芝居をするにしても物語をつくる力が必要だと思っていて、自分で物語をつくれないことが中学生くらいのころから気になっていて、それでもそのためにはもっと多くの物語を食べる必要があることを体感したのはずっと後になってからだった。都心につづく各駅停車のなかでこれを書いていて、さっき口に詰め込んだ黒糖饅頭の甘さで舌や食道が焼け爛れていくような気分になる、あんなもの食べなければ、いや、買わなければ、よかったのか。

きょうは妙にことばが回る日だと思った。よく晴れている。コートなんて着なくてもよかったのかもしれない。うまく地下通路に入ることができて嬉しい。時間は流れ流れる、意識はやはり閉じてしまうから自分がどのような振る舞いをしているのか自覚することができない。帰りの電車を降りると向こうの空が真っ赤で、私の中の幼児が騒ぐのをなだめすかしながら歩いた。図書館にも寄る。

ハード的制約。不安は色々。ちゃんと作られた趣味に合うエンターテイメントは隙を見ながら摂取していくべきだなと思う。