0606

することは山積み、すべてが無骨。強くて固くて大きくなりましょう、ちょっと待ってくれませんか。

・自分以外がかならず正しくて進んでいると思うのをやめなければ、逆説的に、自分の正しさに固執しつづけることになるような気がする。

・本を読むために、音楽をきくために、わたしは透明にならなければならない気がした。

・日記に書かれなかったことだけが本当なのだと、わかっていながら無視をする。思い出せなかったことだけが、ほんとうの過去としてとどまっていられるはずだった。ほとんど誰にもみられないで、誰にもかかわらない誰にとっても意義のない言葉が延々とつらつら並んでいる、古典インターネットの残骸の一員になることへの些細な憧れのようななにやら。

 

厚く曇っている日の、ものに落ち着いた彩度の質量、透明なものだけがなめらかに行き交って、そういうところに一抹の安堵があると思う。いつもいる机の真横には大きくも小さくもない窓があって、そこから風が流れてくるたびに、からだの表面がすこしだけ溶かし出されてそのままどこかへ連れていかれる、知らないところへかえっていく、ようなそんな空想。わたしも、余剰の色はいつのまにか眠って、質量だけになったからだで、奥へ奥へと走っていく。つめたくて青い洞窟のなかへ、浮遊して流れていく。眠っていてほしい。何もかもが、いつまでも眠っていてほしい。

日がさしている日はあらゆる色という色、光という光がもとあった場所から浮かび上がってふくらんで、エネルギーの奔流に視界の中がわんわんなる感じ、それはそれでとっても綺麗だけれど、気持ちがついていけない日もあるよねみたいな一般論に終始する。

牛乳瓶のラベルを、蓋の部分を持ってきゅっと回すと外れることがあって、うまくいくと心地よかったこと。駄目だ駄目だ。このままでは思い出しと空想に潰されてしまう。今は現在なのだ。

 

・聴覚、に意識を向けてみると、台車を押す音、換気扇、いろいろな鳥が鳴くのもきこえる、こどもの声、風の音、ゆったりと流れていくなにもかものことを思ったりする。

・立体構造物である限り、影があるのは当たり前で、素敵なことは、その影の形をあやつれること、ときにはなくしてしまえもすること、そういうところにあるんじゃないかと急に思ったりした。