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7月12日かと思った。暑い5月を過ぎ、梅雨に少し下がった気温が夏に向けて膨らみ始める頃の気温だった。

演劇を見にいった。目に見えるほど歳をとって、それでも人の真似をする姿を、どう捉えていいのかわからなかった。当然技術は高い。一つ一つの挙動に対して真摯であることは目の鈍い私にだってよくわかる。脚本も演出も当たり前に精緻に組まれている。それでもそれ以前の問題として、なぜ人が演じることをこのように共有しているのだろうか、という疑問。昔のことを想像してみる。演劇のオーバーな仕草に憧れもしたし、子どもとして言い聞かせられているような気がして不満もあった、ような気がする。

それから電車を乗り継いで、友人の歌の教室の発表ライブを見にいった。友人はとても歌が上手だ。それはそれとして、舞台に立つ人にはいろいろな人がいて、それぞれのスタンスとそれぞれの視線とそれぞれの表出があり、それを見ながら私は、なぜ人には表現することが必要なときがあるのか、何への憧れなのか、それは技術的達成?情緒的連帯?それともどこか、それでしか辿り着き得ないまだ知らない場所に自分の足で立つことへの遠い憧れか、ということを考えていた。ひとつの流れをきちんとこしらえて、嘘でも振りでもあの時間の中で堂々とできるあの人たちは本当にすごいと思った。

1月に行った音のイベントで話をしてもらった方に強く勧められていた映画が配信されていたのをようやく見た。人物ごとの瞬きの割合などをぼんやり意識した。