0528

夜こそ起きて、音楽をきいたり本を読んだりしていたい 明晰な昼間は眠って、浮かぶようにして起きていたい 夜に沈んで彩度から自由になった部屋で、色が帰ってくるまでの短い時間を影絵として流れていって、何もかもが立体に帰る瞬間を見送って立ち止まりたい

何かを書いていないといけないような強迫観念、書いていたら許されてしまうような甘え、そのどちらもよくないことだと認識を付与して芽吹く生産性って何だろう。

残る媒体に書いたらいいのに、と言ってくれた友人がいて、その人にはこういう風に今書き溜めているのだということを知ってほしいのだけれど、直接的に言うのも何か違う気がしてしまうし、気づいてくれないかな、と間接的に誘導しようとしてみるんだけど、ピンポイントでうまくいっていないような気がする。そんなもんか。

 

渋さ知らズの不破氏のツイートより、人と会うことは死を纏うこと。強烈だ、そんな出会いならいくらでも会いに行きたい人たちがいる、症状のことを知るたびに感染は怖いと思うのも一方で。清潔なままで生きていけると思うなよ人類、なんて言ってはみるけどずっと部屋の中で面接も試験もオンラインの生活、医者以外の他人と電脳接触しかしてないけっこう清潔な生活で、それでも髪は抜けるし垢は出るのだな、生きている限りずっと汚いのだな、守られている、守られてしまっている、このまま漠然と終わりたいと思えもしないのに考える、滞留したいわけじゃないけどどこかにいきたいわけじゃない、そんなことばかりでぐるぐる巡って、あまりにも惨めだ。

言葉の些細な感染りをどこまでも貴重な交わりだと信じているけれど、それだって生身で喋る時間を持ってこそ生まれるから実質物理的な感染と何も変わらず、私たちは私たちの言葉をこれからどうやって交換していけばいいのだろう、そんなことで途方に暮れてみたりもする。

そんなに気落ちはしていないのに、返信という返信がやけに億劫になってしまって、返信という行いをしないことが生みうる影響も当然のように推測しながらそれでも言葉を返す気持ちになれず、増えていく通知を知りながら、ぼんやりと見送る夜。普段頻度のことは置いておいてもこういうことを億劫だと思うようなことは誰に対してだって滅多になかったから、他所から見たら何か変なのかもしれず、しかし私は平常心のつもりであって。

急にこの先をやっていくことに対する漠然としたでも大きな不安がぼわっと現れることがあって、そのどうしようもなさが高じてどうしようもないような思い。傷つくことや傷つけること、その帰結としてこれから先にきっといくらでも恨まれること、何もかもを失っていくこと、その全部がふっと怖くなる。きょうも何もできないでいた、昼間などずっと寝ていた、雨の打ち付けられる音ではっきりと目をさましてからも何もしなかった、本を少しだけ読んだ、でもそれだけだった。大切なものの奥底にはいつも静かに水がたたえられている、そんな気がする。視界がほんの少し暗く落ちていく。そんなことも久しぶりで。