0517

日曜日ならば遅く起きても許される、そういう法則を見つけてからわたしは日曜日をゆっくり起きるようになった。

きのうある人と話をして、お互いに関係のないお互いの話をして、それぞれの未来にお互い関係がないということだけがわかっていて、すこしの過去と現在についてだけ話をした。そこからわずかに差し込む未来の影、そのそれらの感触をたしかめているうちに体がずうんと沈むよう、決して気分の悪いものではないけれど、誰かと話す気分でもなく。

家族の目が気になる、気になるだけで心身がひどく消耗する、全てに説明責任があるような気がして、けれどもそれは幻想かもしれない。それでも体が重く沈む。部屋の隅に仮眠を取れる広さの床を作り出し、そこですこしの間を眠って過ごす。左手の質感、知らない角度から眺めた部屋、細かい砂のようにして崩れていく。

 


とくべつ食べたいものを聞かれるといつも困ってしまって、きょうで言えばお昼にたまごのサンドイッチが食べられたら嬉しいくらいのことしか思えず、しかし要求されていることはそういうことではないのだ、と無駄な深読み、そう祝い、理由のあるときにしかゆるされないようなとくべつが必要とされている、そこまで掴めてようやく答えを出す次第。

 


もう落ち込んではいないけれど、それでも頭がぼんやりする。毎秒死んでいくのだなんてセンチメンタルなことを呟くつもりもないけれど、それにしたって日々は三途の河への旅路であることには間違いないような、死して水辺を通ることができるのはなんとも綺麗なことだななんて、変なことを考えたりして22歳のわたしが緩やかに終わっていく。