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すでに暑かった。一足飛ばしの軽装で外に出て、乗ったことのない電車に30分揺られて少し歩いて展示を見た。卒論を書くときに少し読んだ本に関連する企画だったので、自分への筋を通そうということで出かけたのだが、実際に中に入ってみると絵を見るということがどういうことなのかいまだによくわからないことを思い出す。絵を見ることと川の流れを眺めていることの違いが私にあるのだろうか。そういう疑いを常に持ちつつ、ぼんやり眺めたり何かを思ったり思わなかったりした。親御さんに連れられてきたらしい小学生くらいの子どもを見かけて、小学生のときに課題で行った美術館で見た少し怖い青黒い絵を前にして、これを良いと思わないといけないんだ、これに何か強い印象を受けないといけないんだと思って頑張ったことをなんとなく思い出した。頑張ったところでどうにもなりはしなかったと思う。

帰り道をまたぼんやり歩きながら、私は自分の体のことを忘れずにあの位置まで歩き続けることができるだろうかみたいなことをやっていた。やりようによってはやれたのだが、例えば何かに目を向けるとき、思考に閉じこもりはしないのだけど、体が薄くなって目ばかりになっているような感じがして、それは体を忘れていないに数えて良いのだろうか。つまり並立させる必要があるということだが、それはどのように可能?(今更?)

日が暮れかけてきた頃に外の椅子でぼんやりしていたら、小さい子どもが目の前にやってきてじっとこちらを見ていた。何か言いたいことがあるのかと思い見返すと、足元の穴に何かがぴょんと入っていったのだとその子は言った。私の角度からはそれは見えなかったが、しきりにそのことを話すので立ち上がって彼の視線の先を見ると穴もないように見えた。その子は靴裏で「穴」を何度か擦ると、もう出てこないように埋めたといった。なんとなくあら、と言ったが、本当に言うべきはありがとうだったと後になって悔やんだ。それからその子は少し遠くにある柵に軽く登って向こう側を見た後、おそらく母親であろう女性のところに走っていった。なんだったんだろう。