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あっという間に平日は過ぎていった。ほとんど出社、早い時間に始業、途中で帰宅して日付が変わるまで作業をして、在宅の日は昼休みを睡眠に充てて在庫整理で配られた乾パンを昼食に代えるようにして過ごしていた。時間だけが食われるが心理的負担はほとんどない作業だったためにただただ身体だけが寝不足の疲労を溜め込んで頭が朦朧としていた、現実がわからない、今周囲にあるものがなんなのかが見えるけれどわからない、わからないということがわかるようになった、冷たくなってきた夜道でそういうことに気がついて、また夜が短い。

金曜日は友達に会いに名古屋に行った。通勤ルートを騙すみたいに新幹線に乗って行き着いた街は嘘みたいに良い天気で、早く着いたので庭園などをみた。大事なものには水が湛えられている。彼女と会うのは彼女の卒業以来だった。彼女の人生をやっていた。近況の話や見えるものの話をして、歩き回り、共通の知人たちの消息の話をした。話したいことがあったような気がするけれど、今じゃないような気がした。その判断は別に後悔にしなくて良いと思えた。夜の新幹線はあまりどきどきしない。外があまりみえないからかもしれない。

ひさしぶり(といっても先週末が両方オフだっただけなのだけれど)にワークショップに行った。見えるもの見えないもの、考えること足りないこと、やはり気持ちは高揚しても祝祭のままでいてはいけないと私自身に思うから、足りていないのはやはり言葉なのかもしれないと思う。着いていって、映像の展示を見た。個人的な切実さは分かりやすく、ポップさによってみやすく、けれどそこにあるざらざらとした手触りはなんなのだろうと考える。部屋に入った直後の青い画面。