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仕事は忙しいというよりは単純に向こうみずな無理難題で、別にそのことは悲しくも辛くもないし(愉快でもないけれど)、でもそういうことをいうと嬉しそうに「よくあるよ」と言ってくる父親の顔は嫌いだと思った。忘れているなら仕方がないが、遠く過ぎ去った子どもの世界をばかにしすぎでは、とあの世代の男性に対して思うようなことが時々ある。そうしていなければ自尊心を保てないのだとしたら、それはそれで哀れめいて素敵なことだけれど、ならばワカモノに向けられる言葉の数々は恥とともにあるべきではないかと思う。例えば小学生(という概念としか今の私は会えないけれど)と相対した時の憧れや恥に似た感覚を、自尊心のために捻じ曲げたくないと思った。砂糖漬けにしないと保存できないのが仕方ないとして、砂糖漬けにしたから得られるものがあったとして、それはそうしないでいられた頃よりも価値があるとは思いたくない。保存がきけば流通に便利だが、流通に便利だと嬉しいとあなたたちが思うのはそういう世界に自らが住んでいるからだと思ってもなおそういう顔をするのか。わかりたくない。

思うのだけれど、ありふれているから価値がないという論調は、単純に住んでいる世界の経済的価値観によるものなのではないか、そんな気が少し前からしていたりするのでいまこの惰性で走り書き。