卒業式に行った。人がたくさんいてよかった。偶然サークルの同期に会えたとき、思わず泣いてしまった瞬間がこの数日できっと一番面白かった。華やかな視界だった。誘導に従いいつかも入った建物に入ると人が並んだ椅子に座っている。女の子たちの頭に花がささっていて、嬉しい。みんないつでも頭に花をさして良い世界がいいなと思う。嬉しいから… 会場はいつか修学旅行で道に迷ったときにたどり着いてしまった場所でもあって、記憶の中にひとつの目印になる。

学位記をもらって、色々な人になんだかんだで会えて、話したりした晴れの日だった。

友達が案内してくれて、静かな場所にあるお寺の桜を見に行った。さしこむ光を含んで透き通る白銀が、ほろほろとこぼれていくのをただ見ていた。枝の下に入れば桜に守られている、あるいはとらわれている。この光景を、どうしたら記憶しておけるのだろうと思う。何もかも、思い出さない限りは忘れてしまうことばかりだと思った。

窓の外をもっとみたくてバスの車内を見回したときに後ろに空席が見つかったときみたいな、嬉しい気持ち

山に登ったり、川沿いを歩いたり した

こちらの友達は、実際どうなのかよりも、本当は何がすきで、何がしたかったのかだけに焦点を当てようとしてくれる。

もう動かない足を無理やり動かして歩く。今更初めましての地下道の低い天井と、ぼろぼろにひび割れた床のブロックが綺麗だと思った。満足するまでって無理なのかもしれない、そう思う。あんなに見たかった川をあんなに見たのに、まだ足りない気がして、時間が微妙に足りないと思う。

電車に乗ったのだ。

友達に勧められて、そのことを別の友達に言えばやはり勧められたので、折角の機会だしと思って。線路の左右には桜がやはり咲き誇っていて、多分初めて降り立った駅は爽やかな風が吹いてこれ以上ないくらいに遠足日和だった。広い白い道を歩く。老若男女、人が通り過ぎていくのを見る。目的の場所はすぐに見えた。太陽の塔。雲のゆるく浮かぶうす青い雲を背景に、真っ白な生きものめいたそれは堂々と立ちすくんでいる。

公園の中に入れば桜が綺麗だった。梅はもう散ってしまったのか、枝だけになっていた。

暗い階段の足元にちいさなあかりが灯っているような、冥界的なものの綺麗さに惹かれてしまう 脆さの上にヒトが立っていること、進化の歴史を後の人を追いかけ後ろの人に追いかけられているような気分になること、登ってしまえばあっけなかったこと、腕の先へ続いていく暗い未来のことを考えた。もう足が痛くて仕方ないのに、阪急で戻った烏丸からバスで出町柳まで動き下るようにして川を歩いた。あの冬の日のように西陽のさしかかる水面にきらめきの群体が流れていくさまを眺めて、大丈夫、大丈夫行ける行けると思っているうちに本当に行けてしまった。荷物を回収して待った最後のバスはなかなか来なかった。


東京に着いたとき、とうとう行き止まりに来てしまったのだと、そういう思いが胸を圧した。前髪とマスクの隙間で、泣かないようにとこみ上げる何もかもを殺した。