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朝が明るい。少しはらはらしながら何度もリロードしていた郵便追跡は、無事到着したことを知らせてくれる。先日の消防点検。天井に根っこを埋め込まれたつるつるの目が、赤く光ることを思い出させてもらう機会。今日は晴れる。晴れていただろうか。数日のことがすぐにばらばらになる。海を見たのは一昨日のこと、交通ICが見当たらないのは今日からのこと。

先日、ある配信の舞台をみた。演劇、特にストレートな舞台を見るとき、うまく受け取ることのできない自分に落ち込むというタームがどうしても生まれてしまう、そのことにようやく気がついた。有り体に言ってしまえば、うまく傷つきに行くことができない。

向こう側とこちら側には大きな壁が横たわっている。それがどうにもならないならその壁を取り崩すことに躍起にならないで違う場所から眺めればよい、そういう術をこの数年でどうにか知ったはずだった。その場で感受して反応することと、要素を一度思考の箱にかけて意味らしきものを取り出すことは質として全く違う体験だと私は思う。いつも前者を望んではうまくいかない中で、ところでそうした受け取り方は幻想なのだろうか。私にはわからない。

(だから頭と体で見て成立するような、心がなくてもついていけるような概念的な舞台を好むようになったのかもしれない)

(考えを介在させて理解することと、自然と考えに引きずられてしまうこととはまたこれも違うように思う。個人的にはこの2択ならば後者の方が好きだ)