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土曜日に見た舞台が予想以上に良くてずっと引きずっている。問い自体はある意味で素朴で、少なくとも真新しいものではないのだけれど、それをこの輪郭のおもたさで示したように見えたこと、時間や体験として立ち上がるものであったこと、あまりにも鮮やかにそれは目の前にあったのだった、ノイズと近未来と薄い幕が個人の思い入れに直結しているのもあるだろうけれど。レビュー記事を見て気づくこともあり、何よりもきっちりと語られていることに何か羨ましさのようなものも感じて、私もうまく?見たものを話せるようになれたらもう少し自由になれるような気がする。自分の側に記憶を取り戻せるような、そんな幻想を持つ。

もう短くない期間続いている毎月の話す会が週末にあって、かなり私にとって縁のようなものだと思う。一番何か、どうにもならないかもしれないことを考える時間を共有して、多分だから安心していろいろなことが話せる。当たり障りがないというには若干入り組んだ話について、2人がどう思っているのかを知ることができるし、私も考えることができる。三者三様に進路なり休憩の時期なりが異なり、愉快だと思う。

たまに仕事で褒めてもらえる。と書いてみて、多分周りにいい人が多いからだろうなと思う。大人になる程褒められないと一般論に聞いている。ありがとうございますと言ってみるけれど、しっかりしていると言われるとき多層な不安がふんわりと降りてくるような気持ちにもなる。ひとつ目は、何が見えているのだろうという不安。ふたつ目は、私でしっかりしている判定ならばこの場所はなかなかになかなかなのではないかという不安。ただ、私を拾ってくれた場所でもあるので、何というか。