何年か前の知ってる他人の日記を読む。私がまだ生きていた頃のことを思い出して涙ぐむ。カフェインを解禁した。仕事は少し杞憂が晴れて、それでもまだ五月が不安だった。
稽古場でよくない状態になった。わたしは何も問題なく進めなければいけないと分かっていたのに、できないことはできなかった。できないことがどうできないのかの解像度だけが少し上がっていた。無駄に落ち込まない、落ち込むときはひとりで落ち込むと決めていたのにあろうことかわたしは泣いた。最悪だ。帰り際、とくに謝らなければいけない人たちに謝り損ねたと思った。
帰りに分けてもらったあんバターパンを抱えて混みすぎの山手線を回っている間にもわたしは泣いていたが、何に対する泣きなのかは乗り換えをいくつかして最寄駅で降りてもわからなかった。
帰ったら母がご飯を残していてくれて、温めて食べる。わたしばかり恵まれていて、と思う。眠くて、しんどくて、でも謝らないといけないからどうにか文を組み立てて送り、個別に送るか迷ってやめ、力尽きて寝た。学生のときずっと使っていた広い小屋でこの劇を上演する夢を見た、登場人物が高校からいままでで入り乱れていた。