0625

朝、起きて、なにも悲しくないことが嬉しかった。朝食をして、きょうはなにもしないぞと決めていて、本を読んだり、友達と連絡を取ったりしていたら、けれどもだんだんと鬱屈とした気持ちが膨らんでいく。肋骨の中に鉛が生まれたような感覚、私の質量という質量がそこに吸い込まれて、吸い込まれた分がまた生まれて、重たい、あまりにも重たい。昼を超えて、あまりにもしんどく、言葉に逃がしてやるならば手頃なところにあるのは死にたいの四文字になる、悲しくもしんどくも辛くもない、ないというよりもそれではない、寝てばかりいて、と白い目で見られていることが容易に想像できて、しんどいね、逃げるように眠る。

ずっと寝ていた。夢を見た。公園の中にある建物で、夕方で、私は髪を赤く染めていて思ったよりも色が入る。住んでいるというよりは使っているような空間で、いろいろな友達がいる、もうすぐ引き払うための準備をしている。だんだんと日が暮れていく、私はひとりになっていく。そんな夢。

起きても悲しい。どんどん悲しくなっていく。どうしろというのか。暮らし以外のことで、楽になることが素晴らしいことだとも思わないから、ただただ休みたい。誰の目も気にしないで、どこかへ出かけていきたい。あるいはずっと寝ていたい。妹はさいきんよく歌う、先述のコンプレックスのせいかもしれないけれど、私は妹が歌うのを聞くとものすごくぞわわとした気持ちに襲われて、芯から皮膚まで一斉にざらつく不快感、だからといってどうと言えることもないから、音楽で耳をふさぐ。

 

時間が過ぎるに従って重く硬くなっていく心臓だった、母親の怪訝な顔を無視して夜、散歩に出かけた。夜の8時半、学生街であればまだ昼間のように明るく賑わっているような時間帯、一方の住宅街はもうすっかり静まり返っていて、散らばる光の中から時折声が聞こえるばかりだった。ごく稀に人とすれ違ったりもして、公民館では知らない誰かが卓球をしているのがカーテンの隙間から見えた。駅にはたどり着かない範囲でぐるりと遠回りをして、帰る、誰もいない公園で2つ並んでいるブランコの片方にかばんを乗せて、もう片方に腰掛けて漕ぐ、私が小さかったころ同じ場所に生えていたブランコとは形が全く変わってしまったので、足が引っかかるのは成長したからとは言えない。ずっと悲しいまま歩く。小学校、工事が入っているらしい、住宅街、色々に光っていて、クイズゲームをしているらしい子どもの声が聞こえてそれだけで目が潰れてしまう気がした、歩く、歩く、わたしは歩けるようになったのだ、歩く、空気は湿っていて生ぬるい。まだ夏は来ないで良い。誰も見ていないから、こっそりマスクを外して歩く。