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最近、本を買った。今は配送を待っているところ。いつに届こうがわたしにとって大事ではないのに、「配送状況を確認」のボタンをなんどもタップ、なんどもリロードしてしまう。部屋にある本も読み終えていないのに、読めるかもわからないのに、急に読まなければいけないような気分のめずらしさなつかしさに突き動かされて3冊、きっとばらばらに届く。さして大きくない本棚には小説もいくつか並んでいて、内容を思い出せないものから手をつけようとしてページをめくってみる日がある。優しさへの嫌悪、ひりつき、生なましさへの感覚の行き場をなくす、それらはみんなわたしに必要な感覚であり、わたしが逃げたい感情だった。舞台なら大丈夫、詩なら大丈夫なものが映画や小説ではうまく行かないのはどうしてだろう。ちゃんと読める見られるようになりたい。小説よりも詩が好きで、けれどもそれが傷つきたくないからなのだとしたら、それは詩に対する冒涜だとも思う。


相談室の面談があった。話そうと思っていたことを整理していたはずがほとんど触れることなく時間を終えた、設定された会話でさえそのように流れることは想像こそできたけれど、体験してみると不思議な気分になる。担当者はさすがに頭の回転の早い人で、新しい比喩を手に入れられて嬉しかった。次の予約、これ以上何かを話してどうにかなるような気もしなくて状態としてもさしたる危機ではないためにお願いするかどうか迷ったのだけれど、好転にせよ悪化にせよ停滞だけは避けられるような気がしたので入れてしまった。また半月後。

首を回したらこきりと音がして、すぐに気づいた左足の痺れと結びつけてしまってちょっと不安になる。たぶん関係ないんだけど。ないよね?