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首をぱきっとしてしまう癖が治らない。よくないことだとは知っているし、たまに何となくひやっとすることもあるのだけれど、首回りがどんよりしてくるとすぐにやってしまう。別にそんなに達成感があるわけでもないのだけれど。不思議だ。

 

きょうはひさしぶりに8時までに起きることができた。といっても5分前なのでかなりすれすれだったのだけれど、起きてすぐに家族と顔をあわせるときにすみませんと言わないのがひさしぶりだったから少し変な感じがした。何を思ったこともないのに少し悲しくなった。

お昼前に少し変わった形の会社の説明会があって、何もかもうまくいかなくても行き倒れない道があるのかもしれないなと少し気が軽くなった。考えながら話してくれる人はその点において信頼できてしまう。そうじゃない人を信頼できないわけではないけれど。

Youtubeでみた長谷川白紙のライブ映像がとんでもなく好きだった。ダンスの映像を見るときも思うのだけど、人体ってこんなに自由だったっけ、まあそれもそうなのか、みたいな妙な感動と納得がある。想像の世界はかくも手狭い、書を捨てよ街に出よう。現代であれば画面を割れでも良いのかもしれない。恥ずかしながら寺山修司をほとんど読んだことがなく、せっかくだし読んでみたいなとも思うのだけれど、せっかくだからも塵として積もれば山となり島となり大陸となり星となる、そんなものばかり積み上がって不可能で視界がいっぱいになっていくような気分。

このつらつらと飛躍していく言葉の軽さをみるに、きょうのわたしはけっこう元気らしい。悪いことではないだろう。そういうことにした。

例の宣言が解除されようとしているらしい。動かなければ死んでしまうものたちのために、自由になれることはいつだって素敵なことだけれど、動き出す何もかもに置いていかれてしまう気がして、気がするというよりも置いていかれてしまうから、東京はまだ先になりそうなことに、安堵してしまう自分がいる。