0511

やはり起きられない。もはやひとりで暮らしていたころの方がちゃんと起きていたような気がする。明け方に寝つくようなことがあってようやく昼前に起きていたのだから、やはり何かが変わってしまったと思う。

そういえば去年の夏は夜中に起きていることが多かった。脳の溝をあるいて記憶を辿る、夏のじめじめした空気と夜風、水の流れる音と静かな歩道橋、それらそれらがみんな郷愁のなかに消えてしまいかけていることに気づいて愕然とする、ひさしぶりに目を合わせるとかれらはあんなにも遠い。

この時勢で、「目を合わせる」ことからきっと人は離れている。視線の交わらない時代。いつか、自由に出歩けるようになる、だれかとひさしぶりに目が合ったとき、その質感はわたしに何かを与えるのだろうか。

封筒を買うために外に出たら日差しが強くて、それでようやく部屋の外が逃げ場にならない世界のことを思い出した。影は濃く、空気も濃く、桜の木は花を咲かせていたこともまるで忘れてしまったかのような青々とした表情に置いていかれたような気分になる。歩くだけでじわりじわりと、四方八方から押し寄せてくる夏の始まりだった、日傘をいつか買いたいなと思う。

未来が凍結された気分でまくられていく今だからなのか、過去を思い出すことがずっと増えた。人とパーソナルな話をすることがずっと増えた。わたしはきっとお花屋さんよりもケーキ屋さんに憧れていたし、親が働いていることが当たり前じゃないということを考えもしなかったし、子ども時代に格差について考えたこともなかったし、家族とのコミュニケーションは今でも苦手だ。中学校のことなんてすっかり忘れたつもりでいたから、ひんやりして薄暗い一階の廊下のことも、きっと今だから思い出したのだろう。