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その日が終わるまで、絶対に大きな怪我をしてはいけないし、各種疾病も絶対にNG。そのような言葉で伝えられたわけではないが、私はそのような形に言葉を私の体に受容した。つながりややりとりの緩やかさの中で、これだけは唯一絶対厳守撤退のものとしてあり、そのことがわたしのためだけではないわたしとなって、ある種肯定となっている(他者≒自分の外の事情により管理されることで肯定されている感じを得ること 今回の場合はその規律を積極的に受容しながら、管理下になる喜びを乗り越えること)

わたしが見たかったのは、通りたかったのは、立ち止まりたかったのは、このような景色なのではないかと思う瞬間がたくさんあり、空回りながら幸福だから不安になる。書きたいことはたくさんあるがここには書かない方が良いかもしれない、ただもっと外側のこととして、今回参加を希望した理由に演劇への感情はなかったはずなのに、眠っていた演劇への感情に関する何かが呼応している感じがある。また考えることになるのかもしれない、わたしにとって演劇とは。