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雨が降っている気がしたが、窓の外は見ていない。今日は例の都合で仕事が休みで、お礼の連絡を書いては消し、書いては消しとしながら病人のように横になっているうちに夜になっていた。声と音楽の残響が耳に張り付いて残って、それ以外はがらんどうになった体が一個転がっている。誰にも言うわけではないけれど現代の身体について考えていて、ある種の乖離状態がひとつの案としてあがった。それはわたしの体感ではあるけれど、わたしがある程度現代の俗に即した思考、身体、傾向を持つことを思えば当たらずとも遠からずだろうと思っている。全てが終わって投げ出されるでもなく日常しかない場所に帰ってきて、空白の体は大袈裟にいえばある種の生存戦略だったのだと気づく。行き場のない空白を体感し続けることは否応無しに不安感をもたらす。どこにも行けないのに、どこにも行かないと口にすることはどこか何か嘯いているようで、発話の瞬間にあったレイヤーのうちの一つは間違いなくそれだった。

(省略)動画サイトで開いて音楽が終わってしまうことが寂しい、終わらないことを表明した音楽にはそれはそれで嫌気がさす、沈黙していたい、沈黙していたい・・・