0907

知覚が崩れてしまいそうな緩やかな恐怖を伴う眠気もやがて去って、湿度の高い平日だった、火曜日だと思っていたのに水曜日がもう終わった。少し解れた感覚がひりつきに取り憑かれて軋む日中、午前、午後、

とてもこれは現在なのだという気持ちがあって懐古であるかは確かでないが何かしらの感情があって、それは言葉にすることが難しいか極端に抽象的になってしまうから、ほかの人のそのような言葉を追いかけていて、追いかけながら、今度は自分のことを全く知らない人に向けた自己紹介の文面を考えてもいてそれにはそれの難しさがある。何もしていなかったはずがないが、名乗ることとは遠い大切を過ぎてきた身と思っている。

そういえば親戚がまだみんな健康でいるうちに喪服を買わないといけないと思ってからだいぶ時間が経ってしまうな、忘れていたな

あとはあまり明るくない気持ちのこと

恐る恐る動画を見たら自分のことだけは目も当てられなくて本当はかなり悲しいし悔しい。悪い癖が全て出ていて嫌だった。人の大事なものであるのだから、人の時間の集まった場所であるのだから、もっと良い形で形になってほしかった。大事なものを確実に損った感触と時間の記録があり、それでも何もしなかったよりはいくらか良い面があるのだと信じること、よかったと言わなければならないこと、軋みに耐えて堂々としていなければいけないのだな、多分それが責任なのだろうな。やれることはやったと言い切りたかったけれどそうも言えない気がしてくるし、悔しいし悲しいし、行き場がないことを受け入れる必要がある。取り組み方はましになったと思う。完成形の絶対値は確実に小さくなってしまったと思う。自分の大事なものはいくらでも駄目にしてきたが、自分のものでもあるようになるよりも前に強固に人のものであったから、悲しい、という話を、しないでいるのが責任だと思うけれど、いつか誰かに言ってしまう気がして怖い。ここは日記だから見逃してください。やがて西に向かう新幹線に乗った3月末のように、全てが申し訳なくなる時間がまたくるのかもしれない。