0906

メモ:たぶんドラムに限らないけれど気づいたこと(いままで通過してきたいくつかのワークショップ風に)………⑴時間が複線化される。ドラムの譜面は当たり前だけれど口では歌えない。3つか4つの時間を意識の中で並行にすべらせていくことになる。⑵時間の解像度に過敏になる必要がある。かつ、頭による計測と体による計測の両方が必要。⑶合奏することは、さらにそれらの時間感覚を外に開く感覚を必要とする。時間はさらに増える、解像度はさらに精密なものが必要になる。⑷時間の話しかしていないがその先に広がっているはずのそれ以外の要素は演奏とする上で大事なはずで、もっと能力が余裕があれば考えられたのだと思うと残念な気持ちになる。

それぞれの人たちに会うことも、それぞれの人たちの演奏に会うことも、演奏で会うことも楽しかったし、だからみんな元気だったら良いと思うし嬉しく過ごしていたら嬉しいしまた会えたらいいなと思う、楽器そのものも楽しかったからひとり遊びになってもできる状態にしておきたいと思った。劣化が避けられなくても少しでも緩やかに、あるいは汎用的な感覚にもう少し意識を保ちながら暮らすことで。できるものだろうか。難しいことだとは思う。

 

一区切りついたので、ようやく新しいお財布をおろした。前のお財布はずっと気に入っているけれど夏の始まる頃からチャックが閉まらなかった。

 

優しい気持ちと嬉しい気持ちを持ちながら体の半分は日々の中で発生してしまいあるいは自ら生み出してしまった棘とざらつきの重さでざらざら擦れて、人間をやっているのだろう、必要なのだろう、これは前向きでも肯定でもない淡々とした気持ちとして。八年前のわたしたちは夏休みが終わっているね