0323

仕事があっという間にきな臭い流れになっていて、と書いてはみたけれどその萌芽は夏の時点で見えていたなと思い出す。できもしない社会をみんなで背伸びしてどうにか回そうとしている感じがして、私もその端っこにいて、社会ってこういうものなのだろうか、それならみんなもう少し無理しなければいいのに、それでは回らない仕組みなのだろうか、恐ろしいことだ。いつか誰かの足がちぎれる気がする。

ふっと導かれるように思い出した懐かしい曲に、歌詞で調べてたどり着く。そのバンドはもう解散していて、ストリーミングにはないのかなと調べてみたらきょう再配信されていたことを知り、妙な気持ちになる。こんなことってあるんだ。再生して、少し濁った音と、ちっとも覚えていない部分と、不思議なくらいに覚えている部分が混ざり合って先輩の声の方が好きだなと思う。夏を超えたらやめようと思っていた頃だった気がする。やめなかったけれど、うまくやり切れたのかもわからないままで結局遠ざかっていって悲しい。思い出してばかりの日々はそれだけですり減っている気がするから悲しい。なるべく耳にしたことがない曲を聞くようにしているのは、日々に対して思い出すことが何かひとつでもあるように、祈り的な何かのためなのかもしれない。振り返ってみれば日付から音の情感だけが剥離していくようでもある。思い出したことがあったことも思い出せなくなる。柔らかな泥の中にいて、方角がわからないまま3月も終わろうとしている。もう1年になる。