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したい話のほとんどは結局できない話になるんだろう。自分が当時フラットと信じていた文体がある個人のそれに大変影響されていたことに四年越しに気がついて、恥ずかしいというよりは愕然とした気分になった。

昨日の夜は思えば久しぶりになる会話があって、微妙に生じるぎこちなさに似た何かを覆い尽くせるだろうかと少し頑張る、不安に思うことは言葉にしたら本当になってしまうから言わない。まだらに楽しい時間はちゃんと楽しくて、平日がやってくるのがあまりにも嫌で、終わってから全然眠れなかった。こんな時ばかり頭が冴え冴えとしている。4時くらいまでの記憶があるが、7時には起きることができた。働くこともできた。朝一番で上司に呼び出されて、何か怒られることをしたのだろうかとの不安は本当にはならないで安堵になる。みかんはおいしいが喉に詰まらせかける。冬は喉に詰まらせやすいのかもしれない、もしかしたら春も秋もだ、夏はどうだろう、夏だけは詰まらせない気がする。褒めてないよ。いつの間にか、意識が半透明の膜に覆われていく。徐々に悲しくなってくる。意味や根源がないから悲しい。悲しくなるたびに問い詰めてくる「お前ら」に理解していただく必要は感じないから私の言葉の中だけの悲しさだ。今日ならいける気がすると思い映画を見始めた、手元にあったアルコールで思考は心地よく曖昧になっていく、そのまま寝る。朝になってから日記を書いている。少しはましになっているからこの悲しさも結局無効だ。