0930

ざりりと過ぎていく一週間を見送って、一区切り、泥と砂利に塗れた足でたつ鳥の羽がしたがって薄い擦り傷だらけ、空中に投げ出される来週以降への不安と着地する週末への安堵が、楽しみがアトラクションにはならない実感で足元まで迎えに来てくれる。もうひとりの私がいることは、どちらもを実感に連れてくる、ひとりだけでいるときのすべてが薄靄のなかにいる感じよりもそれは楽しげなことに思われたし、色や形が多くて、深呼吸を合図に存在することの練習をして、秋の虫のサラウンド感は外に出ないと分からないのだな………

言葉にすべきことは何もないので、わたしは何も語ることができない、できないが言葉を使うことへの欲望がある場合、人の言葉を借りる必要が生じるわけで………!?!?あ そうだ ご挨拶ってしたほうがいいのかな 平年より気温が高いのかもしれない、金木犀は濃く空中に溶け出して、部屋の中まで入ってくる なぜですか、ほんとうですか、あなたは秋と呼べますか、桜ではなく春であり、積乱雲ではなく夏であり、金木犀やらもみじではなく秋であり、こがらしや雪や冷たさではなく冬である、目や肌に見えるもので時間をはからず抽象的なものでまとめあげようとする努力に何か勇気のような、大胆さのような、切実さのような信頼、人が何かを信じていられた時間を感じてしまい 良いですね すごいですね 10月になりますね