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足音を驟雨にたとえるのはときどき見る 雨脚ともいう 雨に腕ってないのかな

演劇を観に行った、私が行く中ではかなり大きめの劇場まで行った 劇場という場所は嬉しい 論理的な連続性ではなくて、同時性みたいなもの、重なりみたいなもの、初めからそこが抽象でしかありえないので可能になる全てのこと、そういうのが好きだと思う、私にとって同時に存在しているということを理解することが難しいとしても、私も隣の誰かも舞台の上の誰かもそこにいて、その時そこにいて、言葉が、現象がもつれてこぼれていくものを、光として影として手で掴んだり体で受けたり通り抜けていくようなことって、私は劇場だからだと思うし、よくわからない思い入れは途切れ途切れに十年やっている、あなたに説明できなくてもあるものはあるって言える状態でありたい。