0601

話し終わってから、求められていた言葉に気づくような、そんなことばかりだ。昔は毎日の会話でそういうことを思って、最近はそう思うことから離れていて、いたけれど、違う形で何度も現れるその手の後悔、人生の岐路編。

近況で思うことを聞かれて、その話をした。どうしても、感染できない時代の自我形成と世界の優しくなさのことばかり浮かんでしまって、その話をしてしまった。少し泣きたいような気持ちになって、そういうときの話す声が一瞬だけ、わたしの好きだった演出家さんの話し方に少しだけ似た気がした。あの人はいつも普段から、これ以上に、必死に喋っていたのかもしれない。

 

深い曇り空、6月らしい低気圧。終わってしまえば呆然とした気持ち、漠然とした遣る瀬無さ、身じろぎするたびするすると、糸のように形を持って後悔が引き出されていく。絡まりあってそれ以上、なににもなれない。横になって、きれいなもの、のことを考えていた。つやつやしているだろうか、色を含むだろうか、反射しているのか、ざらついた肌触りも嫌いじゃないように思える、透き通っているものも、いないものも、同じようにきれいだと思えるような気がする。とがるもの、なだらかなもの、かたくてもやわらかくてもきれいはそこから自立して、ひとり歩きをしている。きれいなものなんて本当はないのかもしれない。きれいじゃなくないものをきれいだと言ってみて、それで良いのかもしれない。気がつけばまた雨が降っていた。窓の外から助けて、と3回聞こえて、けれども誰も、何もしなかった。もちろん、わたしも。

 

ずっと前から、右足の小指の爪がふたつに割れていた。さいきんになって、左足の小指も同じように爪が割れていることに気がついた。体の動きから半分切り離されて、連動しきれないずれの部分がくすぐったく、わたしは左利きではなかったから、なんとなく引っ張ったり、回したり、そういうことをしているうちに、あれいけるんじゃないか、的一瞬の気持ちで、くいと引き剥がしてしまったのだった。痛みはなかった。ちいさく濁った音だけがした。外れた薄黄色の破片を指の腹でつぶしながら、歯が抜けた日のことを思い出していた。はじめて抜けた日のことはもう覚えていなくて、慣れはしなかったけれど馴染みのあるかろやかな喪失の感じ、そういうものを思い出していた。でも、と思う、乳歯の抜けたあとには永久歯が生えてきた、再生があった、けれども爪にはきっとそれはない、もしかしたら一生、わたしの左足小指は欠けた爪を伸ばし続けるのかもしれない。不思議なことだと思う。初めのはじめは同じものとして生えていたこと、その続きとしてあったこと、体が先に忘れてしまうようなことってあるのだな。失われてはじめて気づくことがたくさんあって、とすれば、欠けてしまった爪が担っていたものが、後になってわかったりするのだろうか。ただじぐざぐとしているだけで好きだった、それだけが意味だったらけっこうきれいなのにな、と思ってみたり、みなかったり。