0509

昼まで起き上がれなかった。なかば意図的で、寝つく前の気分の不穏さをさっしていつもは5,6個つけるアラームをふたつしかつけなかった。案の定体が動かなくなって、目が覚めてからもしばらくは起きられないでいた。正午が近づいてようやくベッドから降りられた、リビングから大騒ぎする声が聞こえて部屋から出られなくなるとき、お手洗いから帰りかけた教室が賑わっていたときの気まずさ怖さを思い出す。教室、輪に入れた瞬間は嬉しかったけれど、輪に入り続けていることはできなかった。クラスメイトががなりたてる猥談よりも、理科の授業のほうがよほど聞きたくていらいらしていた。一年間おなじ部屋に座らされ続ける人間たちを指す言葉が、クラスメイトなんかよりもっと汚い響きをしていたら、こんなにも正義づらしたノスタルジアが蔓延ることもなかったのではないだろうか。休み時間、無闇に校舎を歩き回ってわたしは逃げ場を探していたのかもしれない、誰もいない一階の廊下理科室の前がひんやりとしていて、薄暗くて、それでも長く留まることはなかったような薄らぼんやりとした記憶。

何とか昼食を口に詰めて、それからまたしんどくなってしまって横になっていたら目が覚めたときには日が暮れていて、食事をすることと断ることそれぞれに使うエネルギーを比べてみれば前者が選ばれてどうにか食べたら気分が悪くなってしまって食卓を早退した。母は心配してくれる、体調か気圧かと聞かれて見放された気持ちになる。心因も内因も認めてはもらえないのだろう、説明するのもしんどいから曖昧に頷いて部屋に帰る。

なんとなく熱を測ったら36.0度でほとんど平熱なのにまたも座っていられなくなってしばらく横になっていた。退屈と焦燥は元気の連れ子、やっと動けるような気がしてシャワーを浴びる。すこし体が軽くなった気がした、軽くなったらすこし寂しいような気持ちになって、布をかぶって暮らしたくなる。水は濡れてしまうし、糸は絡まってしまうから布、やわらかくてかるい布をかぶりたい、布団じゃなくて、魔除けとして夜風に当たりたい。


ところで、「かぶる」は音の響きがごわついていて気分に合わない。「こうむる」はぬるりとしすぎていて気持ち悪く、「きる」には異なる意味への風向きがある。「かむる」かしら。釈然としないけれど。あるいは「めくる」?これはつややかすぎる。「かくる」、意味のニュアンスはすこし近いかもしれないけど急降下する気分がちょっと合わない。「まくる」?もわっとしすぎてるな。発音するからよけいにことばは難儀。