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不必要な怨嗟を目にして胸焼けがする思い、頭がぐらぐらと煮えたつ不快感、まっさらで綺麗な世界に帰りたいと思う、なにも知らないうちは幸せでいられたし、知る意味のないことだってたくさんあったはずだった。

 

3月の頭までお世話になっていたお店が営業を再開したらしい。まだまだ状況は厳しいようだけど、少し安心した、嬉しくなる。店長にはとてもよくしてもらった、好奇心の幅が広くて意味のある怒り方をする大人だった。元気でいてほしいと思う。

相談室と面談。最近はかなりゆとりを持ったペースでしか就活をできていないから気分の落ち込みも微々たるもので、こんな軽々しく、と思って申し訳なくなる。

Youtubeの配信を眺めながらストレッチをしたりしている。体のことはほとんどわからないなと思う。唯一、膝のお皿のことだけはよく知っていて、それは小学生のときだったからもう10年は昔になることに驚くけれど、わりとしっかりめに痛めたことがあって、そのときにお医者さんに教えてもらったのがそれだった。その頃は水泳と、地域のコミュニティでジャズダンスを習っていて、治るまでは迂闊に練習にも行けなかったから少し切実で、色々な医者にかかったのだった。温めろと言われて2ヶ月通い続けたこともあったし、そのときは強めの湿布も毎日貼って、その湿布と紫外線の相性が良くないと聞いてサポーターまでつけていた。治らなくて大きな病院でレントゲンを撮ったこともある。結局、隣駅の接骨院で受けた指導で治った、それまでは温めていたのに今度からは冷やせと言われて戸惑った、毎日お風呂の後に冷やしていたら、半月でだいぶ良くなってしまった。そのときに教えてもらったのが膝のお皿の話だった。

膝のお皿を回している、1分にも満たない時間で、その頃のことを走馬灯のように思い出すことができる。雨の匂い、膝を温められているときの向こう側の施術室の照明、見学していた組体操とテント下の熱、膝を冷やすときに床が濡れないように敷いていた、ビニールシートの感触。

私の尊敬する演出家さんが、体の傷に目を向けた理由が少しだけわかるような気になったりもして。それは劇的じゃなくても全然よくて、人格がいくら変わったって失われたって体がずっと持っている一個の記憶として、情報の宝庫としての尊さみたいな。