0210

朝早く起きてやるぞと思っていたが当たり前に無理だった。起きたら11時だったので自分だけの予定だったからいいものの一つすっ飛ばす羽目になった。

人と話すことを目的に人に会った。関わっている集団(のようなもの)の企画の一つで、こんな機会でもなければこんな機会はないだろうという話をした。内容やその感想はとてもここに書くのは難しいことだけれど、何かしらの形として最後になんらかになれば良いなと思った。その後ずっと頭がぐるぐるしていた。今もしている。多分ずっとする話、少なくとも向こう15年程度。

先日知り合った方がDJをされるとのことでそのような場所に行った。スピーカー位置が高く、明確に起立した人間の内臓のあたりを狙ったシュートになっている。批判ではなく感想として音の基本位置が高いなと初めは思ったけれど、低音が勝手に降りてきて床を震わせることに気づいて、音の標高的な高さのばらばらであることがとても楽しくなった。ある標高を音で埋め尽くされることによって私の言語が作動している箇所が曖昧になってそれは酩酊感によく似ていると思った、ある標高を音で打たれることによって私の体が運動の状態になって、その操られは確かにどこか原始的な快感でもあり、行き過ぎればインモラルでもあると思った。大きな音が鳴っている場所で音楽は何よりも現象であって、イヤホンで聴くときにはもう少し情報の側面が大きいような気がした。演劇の音響をするときはもちろんスピーカーで鳴らすのだけれど、情報として作用させることが暗黙の了解としてあったと思う。実際音楽が現象になってしまうと舞台空間と存在を競い合うことになってしまうので、それなりの技量と工夫が必要になってくるのではないかと思う。音響のこと全部感覚で喋っている。誘ってくれた方とは別にかなり近所に住んでいる方々と知り合い、連絡先を交換した。

初対面の人には仮名を名乗っている。