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今日は仕事中に完全に周りに人がいなかったのでやりたい放題していた。ぼくらはみんないきているをなんとなく歌い始めたりもしたが、10周くらいしたあたりで己の状態が若干不安になった。いまはだいぶ穏やかなつもりでいる。

私はベースが低俗で怠惰で排他的なのでぼんやりしているとすぐにそちらに行ってしまうが、そのベースを一度認めた上でそうでない方に向かおうとすることをどうにか言葉で正当化したい気持ちがある。もう飽きるほどされてるんだろうけど、自分でその回路を作るのが大事なのだ。

「前から変だと思ってた」ってわざわざ言う人がたくさんいるくらいだから、生まれながらに違和感のセンスみたいなものがある方が良いに決まっている、という感覚はそれなりに広く持たれている気がする。なんか高尚っぽいし。でもそうじゃないときに、そうじゃないなりの戦い方があって、そうじゃないけど戦えてるならよしとできた方が全体的には善じゃないかなと思っている。自分に甘いともいう。後から獲得する何かもあるだろうし。

と書きながら思ったけれど、「善」についてある程度感性ではないものをベースとしてる場合の方が信頼度が高い気がする。「素朴な」感覚は安易に人を踏み躙る。私もやってしまったことがあって、そのときは周りの大人たちが口を揃えて怒ってくれた。

ところでこの文体、これって絶対「影響」だよね? 「影響」だと思う。読むのやめた方がいいと思う。ついでに散文も1回休んでいいんじゃない? 現代詩を全然追えていないなあと思い始めてから1年くらい経ってる。