0616

感覚がとても冴えている。いつまでも続くだろうと思っていると慣れてしまうかいななってしまってわからなくなるので書いておく。

仕事の人の招集で居酒屋に行く。外が明るくて夏至が近い。おそらくこのような偶然がなければ出会わないような人たち。

半分かもうすこし低い割合で知り合いのようなひとが、大学時代の指導教官の学部生時代のサイトを見てある言葉を読んでいたという話をしていてまたひとつ世界が閉じる。全然真面目な学生じゃなかった、2回生のときは演劇に近づけなくてそれをどうすることもできずに暇だったからか研究室に遊びに行っていたけれど、3回生になると途端に演劇をする機会に恵まれ続けてそちらばかりに、というのもまだ頑張って資料を集めようとしていたことを思うとそこまで言わなくてもいいかなと思いつつも、でもどんどん気持ちが遠ざかっていったのも本当のことで、4回生になる頃にはほんとうに不真面目な学部生になっていたのも本当のことで。大学生のころ、この4年間が終わったら全部が途切れてしまってあとは真っ暗闇に入ると思っていて、この4年間が終わるまでに手に入れるものは終わった瞬間に失うものだと思っていて、その確信がなければもっと自由だったかもと思うし、でも愚かだったともまったく思っていないし、そう思うしかなかった私のことを私は不思議のないものとして見られるひとりでいる。私は私を恥じない、仕方のなかったことだと思う。(そうしないとみんな殺してしまう。そのとき必死だったことも大事だったことも全部上塗りで無かったことにしてしまう。なのに返り血がべたついて、返り血じゃないかもと気が付かないで痛いかもしれない。そうして空白が残るけど、もうそこに上書きできそうな素敵や真剣や面白いことを見出せないような気がしている。)

若い人の集まる街の駅のお手洗いの洗面台、かわいくて大きなプラスチックカップが置き去り、ワンデーコンタクトの抜け殻、綿棒、散らばっているマゼンタ色の粉が不思議だったけれど、おそらくアイシャドウだと気付いて面白くなる。

若い人たちが水を含んで笑っている。去年の今頃は世界はもっと警戒していて、そう、友達に会いに行くとき直近の健康状態を伝えることもあったことを思い出した。