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秋に通っていたところがたまに一般開放している日があって、その一環として開催されたあるバンドについて語る会に顔を出した。自分がいくにはどうしてもハードルが高く思えて、心は沈むし申し訳ない気持ちといやでもきちんと申し込んだのだからの気持ちの天秤が揺れるエネルギーを歩行に変換して駅から15分ほど歩く。風景に目を向けてしまえば底が抜けたような寂しさがあり、空には蓋がない、深い青という色はあの方角にしか見えない。少し人とすれ違いながら緊張して歩いて、それでも着けばとてもあたたかく迎えてくれる。しばらく縮こまっていたが、会が始まってからは耳に入る色々なことが面白く、立体の人間としての関わりのこととか、本当のことだけを考えたいのだろうと思われる言葉の運び、型から始まるのではない形での音楽のこととか、見学のつもりで行ったけれど質問させてもらった、自分にはあまり発生しないことが起こったりした。突き詰めるには全くもって何もかもが足りなかったけれど、やはり関心の向きはこちらだったのだなと思った。隣駅に住んでいる知り合いができて嬉しい。

音楽の発生する場所、結果として音楽になることがあるような働き、本当のことだけを考えてみる時間、それはそれとしてそれまでの理論的な積み重ねがあっての発生でもある、人間としてあるということの一つの面は多分仮想的な共同体を全部剥がしたときの振る舞いを選択すること、胡散臭い感覚論に陥らないために言葉を積み上げて話すのかもしれない。