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言葉を削ぐべきだと感じるときほど何かを書くべきだと思っていて、日記の画面を開いた。今日はとても冷たかった。12月並みだそうだ。何かのギャグに見える、天気予報もあらゆるニュースも。仕事はあまり進んだように思えない。教えてもらったのに。行き詰まって退勤、映像のドキュメンタリーをひとつみて、もしかしたら似たような趣味の人の気がした、選曲意図が少し気になる。

その名前で何かをしているというよりは、何かをするときにその名前を使っている、事実としてそれくらいの気持ちだ。もう一つの、私の半身のような名前、私にとって偽名というほどにせじゃないからしっくりくる。少し遠くの大学に進学して、違う名前で呼ばれたいと思った。連なってそのまま寄せ来る波の勢いに、大事な時間を有したこの名前がいつか塗りつぶされてしまうのは嫌だった。その後所属するサークルの最初の自己紹介で先輩に三秒でつけてもらったあだ名で四年間とそれ以降を過ごした、それもまた気に入っている。わたしとわたしの境界線が少しずつなくなっても全部がぐちゃぐちゃにならないで済むような気がして、前の名前を自然に使えるようになった。ある次元ではきっと地続きの私だった。分離している部分はまだしている。ずっとしなくて構わない。上の名前とつなげたら新しい角度が生まれて程よい他者感。本名も好き。字面が自分には少し華やかだが、音の響きが自分には少し柔らかだが、言葉はいつも拡張するものだから、大丈夫、いつかこれを名乗るようになったら、それが一つの終着点のような気がしている。だから特に初対面の人にはあまり呼ばれたくない。パーソナルスペース。それはどの名前も同じ。