0905

たぶんこれがなかったら夏を越えられなかったと思う、それは生きる死ぬ話までは拡大しないけど、

今であることがもっとも不思議で、続いている存在がほんの一瞬よりあわされるそのときに、浮かび上がる懐かしさの奥にまったく違う模様が見えること、それが嬉しいということ、思いながら見ていた、話したりした。そのどちらもが出会い直すことだと思った。

というか普通に最初の2曲客席に観に行けばよかった。観に行って全然よかったはずだったのに気が付かなかった。たぶんずっと悔しい。

どんな良くないことが起きても続きがないからこれきりだからもう良かったねと言い合うことしかできなくて、そのことがほんとうはかなしくもあった 思い出としての割り切りがうまくできなかった これは過去として箱に入れられた時間なのだとうまく思えなかった

あのころ絶対話せなかった人に声をかけてみることができる、あのころと変わらないけどあのころは表すことのできなかったものを(適切不適切のことは置いておき)表にしてみることができる、膨張というよりは回転の結果のような気もする。

参加は全部偶然だった。内側は遠い場所としてある気持ちだった。何もできなかったからそれからもう全部なくしてしまったから頑張らないといけないと思いそれが日々の背骨だった、実は7月の最初よりもかなりましになったのだと思っていて、届かない場所はもう二度と見られない景色なのだろうという諦めが濃く、でも面白かったな 閑散とした朝の電車に揺られている これはたぶんノスタルジーとも違う感覚だ、わたしはいま未来にいる。