0702

夜になってしないといけないこと、したいことが散在しているとき、とりあえず日記を書いてから考えようと思うことがある。そういう時は大抵、日記だけ書いてその日が終わってしまう。でもとりあえず今日もとりあえず日記を書いてから考えることにする。

昨日は歯医者さんに行った。歯石をごりごりと掻き出されて下の前歯の生えぎわがいまだになんとなくむず痒い。日傘を差していったのに帰りは土砂降りだった。歯を磨くときは表側3割、裏側7割を意識すること。もう20年は使っている歯です。

それから少し仕事をした。正直1日潰れると思っていたが、助けてもらったので割と短く終わることができた。安堵よりも申し訳ない気持ちの方が強く、それでも私は週末を潰したくなんかないので、二重に息が苦しい。

夜はライブに行った。4ヶ月ほど前に初めて聞いて、必ず一度はライブで見ないといけない人だと思っていたから行けて嬉しかった。場を支配するには体が小さく、何かが正直すぎる演者の姿を見ながら、奮起を促すことは煽ることではない、崇拝の力で引きずり上げるのではない、立って叫んでいる人がいることが、おそらく私かもしれない誰かが立つための、言葉をこぼすための後ろ盾になる。そういうことを思った。あと単純に楽しかった。

いつの間にかツイッターが壊れていた。壊れていたというのは全く不正確な言葉ではあるのだが、告知なしのメンテナンスは不誠実であると思っているので第一印象の「壊れていた」をここでは使う。避難先を探す人がいたり、うまく掻い潜って使い続ける人がいたり、姿を見せなくなる人がいたりと色々で、これが何かの練習にならないといいと思った。

起きて、また声を出す練習をしに行った。今まで発見したことのない発声の感覚が5ふんだけ体の中に現れて嬉しかった。行けても週に1回なので手の届く範囲内の探求はできても訓練にはならないと思っていたけれど、多少は何か影響しているのかもしれない。外は日差しがもうすっかりくっきりとしている。

それからまた電車に乗って、音楽のライブに行った。去年はライブなんて1か2回しか行かなかった記憶があるのに、なぜか今月は3回予定があってその1、2回目がこの週末だった。自分の好きな人と好きな人たちのツーマンで、告知を見たときに私のためにあるイベントだと思ってそのままチケットを取ってしまった。会場はガラス張りで道路に面していて、演奏中も通りがかる人たちが部屋の中に視線を注ぐのが見えた。であるのに音ははっきりと大きく鳴り、普段分厚く黒い壁に閉じこもって鳴るような印象があったからその差に重力が少し崩れるよう、その隙間に涼風が走るような感じ、もしかしたらそうやって道路と音楽の境界を曖昧にしたくてそうなっているのかもしれないと思う。演奏中は意識が永遠の方に行ってしまうなと気がついた。連続した時間からは切り離されて、だから初めと終わりがくっついて一瞬を錯覚してしまうような気がした。自分の中の時間が一直線ではなくなってきのうとおととしが繋がって、そういう感覚で音楽を人は聞いているのだということを、みんなずっと知っていたのだろうに私は今日になって気がついた。ある一節で夏がきたことがすとんと腑に落ちた。15時終演、外はまだくっきり明るい。

会社員になって手に入れた金銭を叩き割るみたいにして焦るように自分に必要な気がするものを見に行って、考えようとして、それがなんだっていうんだろう、あまりしないけどインスタグラムのストーリーを更新しながら、みんなとっくに通り過ぎているだろうにの自己問答はもう何千回目になるだろうと考え、2周も3周も遅れたまま膨らんでいくコースをずっと遅れていく、足も遅いし、体力もそんなにないし、速さに魅力を感じないし。

話題作を見ようの試み、作品が今日の夕方に最終回だったのだけれど、配信遅延で見られないのでインターネットを制限している。10年前に終えていたっていいはずの第一回結論に辿り着けると良いと思いながら、あるものをまだ見られないことへの焦燥は思いのほか大きく、なんとなくずっとそわそわとしながら許せなかったけれど後の描写で再解釈できそうになっていたシーンとの距離をふと思い出すようなときに考えている。

こんなに必死で平日から離れるのに、月曜が来るのが今は不安で仕方がない。先の見えないことを、今日困っていることが未来の私の首を絞めると宣告されていることを、1年やり続ける、(たった1年ならなんてことないんじゃない?(それでも不安は不安だということは、浅ましいだろうか)(そうかもしれない))ここでうまくやっていけないならあとはないという気持ちと、おぞましいほどに人を使い潰すような人を解雇できない会社であることがもたらす逆説的な慢心(よほどのことをしても仕事を失うことはないかもしれない)がずるずると心身を引き摺り回す、そうしている間に日付が変わってしまった。