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言葉に頭が繋がっているうちに、書けることみんな書いてしまいたいと思っている。

いまは電車に乗っていて、先頭車両から青暗いガラス越しに信仰方向を眺めていると、川を流れているような気がしてくる 川でなくても良いのだけれど、流れていて、細いから川だろう。無数のがらくたと生活が視界の端へと消えていき、地面に対して垂直であるはずの直線であるはずのなにかが、途絶えることなく消えていき、って矛盾だろうか。何をしていても恥ずかしいような気がする。適当な服を着るからだ、と思っていたから、お気に入りの、最近買ったばかりのワンピースをきたのだけれど、それがなんだか後ろ指をさされているようで、そんなことないとわかっているのだけれど、そう思って。例えばいまここで突然刺されて大怪我をしたり、死んでしまったりするかもしれないと思う。きのう友達と、いったんあとひと月くらいは無事で、怪我せず、何事もなく穏やかに、そういう感じで過ごしたいですねという話をしたばかりだったからか。もし刺されてしまったらこのワンピースは一度しか着られないまま汚れてしまうことになる。そういう細やかな痛みを、表現されるものとして享受するのはマゾヒズムだけではたぶんないと思う。自分の知っている、気がする、気に留めないけど知っている気がする痛さを現前させるということは、ある種の共感であるのかもしれないと思うからだ。共感。共感しないとやっていけないなんて虚しいことだと思う。けれど。