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車同士の衝突の余波に巻き込まれて亡くなった人のことを知った。それを世間話として伝えた母に返答するべく妥当な言葉を探して頭の中を巡れば、痛かっただろうな、という極めて単純な想像があった。それは口にはしなかったが、突然、予期しない重大な痛みに襲われてそのまま終わっていくのか、その瞬間のことを、なるべく詳細に想像しようとする。救急車の音しなかったのにね。それは何もおかしなことではないだろう。何も知らない誰かのことを、どうやって悼めば良いのかわからない。

寝る前、本を読んでいるうちに急に、自分は今何を見ているのだろうという気になった。ぼんやりとした光や色靄、と取るのが一番近いのかもしれないが、想像が鮮明になればなるほどこの文字のもつ香りも温度も遠近感も失われてしまうような気がして、途端に恐ろしくなる。今までどうやって文字を読んでいたのだろう。怖くなる。

 

自動機械で証明写真を撮って、お参りをしようと神社に寄った。手を清めて近づけば中で何かが催されているのが見えた、こういったときにご挨拶をしても良いものか、目を開いたときに神主さんと視線をかち合わせてしまいそうだそうなったらきっと気まずいだろうしかし、とぐるり逡巡し、また今度ご挨拶をしようとUターンを決めた。振り返れば境内は午後の日光に照らされてひどく綺麗だった。何もかもが光っているような、と私はよくその言葉にまとめてしまうのをよくないことだと思う。けれども今の私にはそう言うことしかできないのだ、悔しいことに。夢でも見ているのかと思われるほど眩い光を含んだ空気は、11月の下旬と思われぬほど暖かかった。

カフェインが恋しくなるときもある。けれども、私がいざコンビニに立ち寄って手にしたのは、小さい瓶に入った炭酸だった。可愛らしいパッケージが何やら効能を訴えていて、気休めにでもなればとその文字列に縋っていた時期もあったのだということを思い出す。それだけ買って、店を出てその場で蓋を捻った。そのまま口に含むと、細かい泡が舌を刺した。ひどく懐かしい感覚だった。思えば、このありふれた痛みからはもう短くないあいだ遠ざかっていたように思う。カフェインを含んだ炭酸。時にしばらくろくに話せなくなるくらいに香辛料の入れられたまかないのご飯。それらそのほか種々の記憶からすっかり遠ざかった舌には受け止めきれなかった刺激が涙腺を熱して、まつ毛がほんのすこしだけ湿る午後3時。コンビニの外は柔らかく晴れていた。どんなに気持ちが沈んでも、私はこの季節のことが好きだし、一番天国に近い季節のような気がする。ほんとうには空は少しずつ遠ざかっていて、私に特定の宗教はないのだけれど。

 

少し歩くと、この町で少し有名な男性とすれ違う。私が小学生の時にはすでに有名だった。休み時間、教室にいた数人が楽しそうに窓に近寄るので不思議に思ったところ、その人を見かけるといいことがあるとかないとか、それらしい毒にもくすりにもならない都市伝説。その当人はそれを知っていたのだろうか。こちらに以前住んでいた時は活動時間もあっただろうがほとんど姿を見なかったのだが、帰ってきてからは何度も見かけるようになっていた。すれ違ったその人に、会釈をされたような気がしたので挨拶を返すと、何食わぬ顔で雑談が始まったので驚いた。感染症の話に始まり、事故の話があり、気をつけましょうね、また、と言って別れる。またがあるのかどうかはわからないが、どちらかというと話を切り上げるための掛け声みたいなものだった。妙なことが起こったという変な高揚があった。