0805

朝を微妙に起き損なう。少しだけ日が傾き始めてから、本を返しそして借りるために図書館へ行く。久しぶりにカメラを持って歩いた。前にシャッターを切ったときとは全く違う花が咲いていた。近くの集合住宅で花に水をやっている女性に声をかけられる。お花お好きなんですか。なんとなく撮っちゃうんですよね。都会とも田舎ともつかないところで4年間暮らしたことで得た変化の一つは、この手の(今うまく形容詞を当ててやることができない)コミュニケーションが割とすんなり出来るようになったことだと思う。二言三言交わして立ち去る。

 

友人の誕生日を祝う。気を遣う。最初にならないように、最後にならないようにほんの少しだけ気を遣う。

 

現実味のなさ、あるいは圧倒的な現実味が続いている。どこか質感が変わった、不安はないし寂しくもないけれどそのことを失われた部分は悲しく思うだろうなという想像だけがある。この4年間。あるいは7年間。随分と長い距離を泳いできたように思っていたけれど、全部嘘だったのではないかという気分、雲散霧消した重み、時間が回収されていく音。何があったのだろう。あるいは何もなかったのだろうか。いままでに出会ってきた色々な人たちに出会い直せない今、そのことをたしかめる術はどこにもない。

 

大昔の憧れを思い出している。たしかにあれになりたかったと指し示せるあれやあれらの存在を思い出している。大学3回生の頃、その時には社会に出ていた先輩に久しぶりに会ったときに「自我が芽生えたね」と言われたこと、友人同士、お互い人間になったねと話したこと。云々、芋づる式に思い出せるのは、関係があるような気がしているからだろう。大事だったものが知らないあいだに大事でなくなってしまうことが怖かった。今の私は本当にそれを怖がっているのだろうか。