0722

くるかもしれなかったメールを待っていた。朝を起きることができず、説明会には遅刻した。周囲の視線をかいくぐれていることを祈りながら、自販機専用と書かれたごみ箱にペットボトルを落とす。図書館に行く。小さい子が嬉しそうに本を借りているのを見ると嬉しくなるなんてとんだ恥知らず。帰路を歩く、子供の声が響いている。日差しが痛い。雨が降っていて、誰もいなかったいつかと混ざり合う気持ちの中で、キャリアセンターに電話する。あのときは、結局何もいうことができなくて電話を切ってしまったのだった。一番初め、まだ春が来るよりも前に話をしてくれた人につながる。名前を覚えていない。帰ってから少し寝た。暗くなる。最後までメールは来なかった。

目が痛い。と足の方がいらいらとするから不思議。私には、目と足の裏しか枝間に溜まった雪と見分けのつかない桜の画像を見かける。

 

以下すみませんな話。 

 

 

 

 

 

 

 

有名な訃報を目にしたとき、私は何も思わなかった。ほんの僅かに、安堵に似た感覚があった。何も知らない、思い入れもなければ憎しみもない人間だったから、悲しまない、のは普通だとしても、残念だ、とも思えず、なんとなく、苦痛の途切れに静かに成功したことに、安堵したのかもしれない。

悲しい人は悲しめばいいと思う。そもそもただ個人のゆらぎのこと、いいとか悪いとかの話でもない。感傷でマウンティングするなら小指の骨でも折ってしまえと思う。大森靖子は「感情の貧富の差をなくす」と言っていたが、感情に貧富があるならば私は間違いなく貧のほうの人間なので、なおさら劣等感があるだけかもしれない

友人がいる。よく死にたいと言っていた。過酷な状況でいた。死ねとも言うつもりはないが、止めるつもりもなかった。生きろと言ったところで、これから出会うであろう苦痛の責任を取れるとは到底思えなかったからだ。逆にどうしてそれでも、人に悪辣な憎悪を振りまいてでも生存に執着するのかがよくわからなかった。しばらく連絡が取れていないが、生きていると思う。どちらでも、その人にとっては良くも悪くもあるのだろうなと思う。