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少し前に強打した足が今になって痛み始め、すこし歩きづらさを感じたので午前、接骨院に行った。道の途中にある歩道橋でたんぽぽの綿毛が茎からちぎれて落ちていたのを、拾って、マスクを外して吹いてみる。嬉しくなって、思わず笑い声が口から漏れ出る。一瞬後で、まずいことをしたかなと不安になってマスクを当て直す。新しい規範は私の中にもしっかりと根を張っているみたいでぞっとする。薄暗く清潔な待合室には何人か先客がいて、問診票を書いてからは座って順番が来るのを待つ。壁の向こうで、外出の自粛を呼びかける自治体からのアナウンスが聞こえてくる。思わず録音をする。受付の小声のやりとりと表の通りを車が行き過ぎる音と混ざって、まるでフィクションのようで、気持ちの行き場をなくしてしまう。

やがて呼ばれて1番手前の寝台に案内される、症状を伝える自分の語り口があまりにも元気、あまりにも快活でこれは誰なのだろうと思いながら話す。しばらく電気を通しますねと言われて頷く、寝転がって閉められたカーテンの揺れるのを眺める。だらりと手足を垂らして、体はいつもよりも適切に重力を知っているような気がした。かたい寝台、かたい床、すとんと下に落ちて体はそれ以上何かと混じりあうことがない。すがすがしくてクリーンな個体。はっきりと引かれた輪郭。緑色のカーテン、向こうから年配の患者さんと話す声が聞こえる。体の衰えを我として持っていて、死を立体として持っている、軽やかさと無責任さ。つけっぱなしのテレビからは色々な人の悲しさが流れてきて、耳を塞ぐこともできない。そういえばさっき話していたわたしは接客をしていたわたしに似ているな、そんな気がした。わたしはあなたと、もうふた月も会っていないのだ。

アラームが鳴る、先生が来る。足の指を引っ張られるとごきりと骨のような音がした。テーピングをしてもらって、今回は終わりということになった。どこがどう痛むのか確認してまた近いうちに来るようにと言われる。わかりましたと答える。

お金を払って建物を出る。外は平然と晴れていた、穏やかに光る昼間だった、悔しくて歩道橋を駆け上がる、意識していると足の痛む実感はどこかへ霧散してしまう。どうやら今日で4月が終わるらしい。

 

今年に入ってから、繰り返し繰り返し聞いた曲といいなと思った曲を月ごとにまとめてプレイリストにするようにしていて、それを聞くとだいたいのことが思い出せるようになっていたのだけれど、果たして4月の間に溜め込んだプレイリストを音として流しても、わたしの4月を掴むことはできそうに思えなかった。輪郭もなく、厚みもなく、ただぼんやりとした薄い靄のようにして漂う4月、それでいて3月以前のことははるか遠くに見えてしまってわたしは現在位置を見失う。