恐れていることが恐れているよりも悪い形で実現してしまう夢を見て、私の夢は結構浅いところから出てくると思った。まだ恐れている形になっているか分からなくて、そうはなっていないと良いと思う。
演劇を見に行った。演劇を見ながら、私は何を見ているんだろうと思った。それはその作品がどうというよりは演劇全般に対する感覚だったと思う。今日見た演劇は、退屈はしない。眠くもならない。ということは何かしらに興味を持っているのだろうと思う。人間が何かを喋っているのを見る。時折光が変わるのを見る。世界像がぶれるときが一番嬉しいかもしれない。それはたとえば言葉、たとえば発話、例えば体の動きのルールが変わること、ずれて新しい形の知覚ができるとき私は嬉しいのかもしれない。でも途中からメタに立ち始めるタイプの演劇を見たときは物語を始めたんだったら逃げるなー!と思った。メタのネタが物語を根っこから壊す必要があったと思ったんだと思う。
気分が沈んでいた。朝から体の輪郭がモアレ起こしてるみたいだった。当たり前に座るということがよく分からなくなった。演劇を見た後、家に戻れない都合があったので時間を潰しにコメダ珈琲にいった。コメダに行くときはいつもメンタルがぶれている気がする。ソフトクリームの乗っているコーヒーをほとんど一息に飲んでしまった。座ることや見ることをやり直し続けていた。体がぶれてる。コップを持ったら、コップも同じようにぶれてる。自分とコップの区別がついていないんじゃないかと思って怖くなる。コップを机に置く。体がまだぶれている。電車に乗って帰る。一瞬空がすごい色をしていた気がする。