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どうやってそこにいることができるのか?と考え始めたら、どういうわけか緊張が止まらなくなった。画面はいい。緊張している体をないものにしてくれるからいい。だけど画面を手放して、平然を装ういつもの振る舞いを手放したとき、わたしはとても緊張してしまう。これは何に対する緊張なのだろうか。何かを間違えてしまうかもしれない、みたいな、漠然とはしているけれども方向性の具体的な緊張とは明らかに違う。それに、最近は少し縁遠くなってきた絶望感、足場の一切が失われてしまったかのような恐怖とも全く異なる。わたしは何に緊張しているのだろうか。一旦意識し始めると、この日記を書いている今でさえずっとどきどきして、何かが膨らんで迫り上がってきそうで、どうしようもないまま時間が来て、私はいつもと同じことをして、その間もずっと緊張していた。

プレゼントを買いに行った帰り、最寄の隣駅から歩いて帰ろうと思って、少し知らない道を進んでみたらちっとも目的の付近に辿り着かず、見知らぬ路地が延々と続くばかりで、不思議だなと思っていると聞いたこともない学校が見えたりして、住所表示は聞いたことはあるけれどどこにあるのか知らなかった場所で、完全に困り果ててしまった。たくさんの犬とすれ違い、たくさんの鳥が飛んでいくのをみて、知らない路地をたくさん歩いて、1時間くらいでどうにか元の場所に戻ることができた。状態じゃんけんでは疲労は緊張に勝つ。