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  • 『ぼくたちの哲学教室』をみた。考えることが生きていくことと直結することを明確に示していたように思う。あれほどまでに人が人の感情に向き合える状態はどのようにして可能になるのだろうとも思った。筋も話もわかりやすいのだけれど、考えながら見ることになるので意識が途中でふらふらするし、見終わった後はなんだか疲れていた。見てよかったと思う。
  • うたを習っている友達の発表会ライブに行った。彼女が何を考えて習っているのかも知っているからある程度心づもりはしていたけれど、想定の1.5倍くらいそれは強くてその場のゲームが変わったなくらいは正直思ってしまった。次の人は全く別方向にエンターテイメント力(暴力ではない、人一人分のエンターテイメントだった)が高かったのである種の心配は杞憂に終わった。彼女が目指しているものになれなかった大人を何人か知っているので、いつも少しだけ不安で、でも発表を見たら偉そうだけど安心した。彼女は何かにはなるだろうと思う。そしてそれは今の彼女が望むものとそう離れたものではないような気がしている。
  • うたを楽しんでいる人と習っている人には違いがあり、後者はうまくできないことを悔しく思うこともあり、だからこそ本当に楽しむことができるという話をしていた。楽しむと習うを対置するのはなんとなく納得がいかなかったが、楽しむに幾らかの分類があり、習うはそのうちのいくつかの手段ではあり得るのだろうと思う。私はといえば、何かをできなかったとてその理由は自分が一番わかるし、何かを悔しいと思ったこと、少なくともここしばらくはあんまりないかもしれない。
  • 仕事をしているとき、言葉を低く低く見積もっていく必要がある。機械になるにあたり解釈する時間は達成すべきタスクに含まれず、単純なノイズになる。仕方ないのだけれど、やはりある一方の方向に進んでいくための力は明らかに失われていることに気づいて、呆然としている。