0920

台風が過ぎていく。横になると、どちらにこの星の中心があるのかを何秒も見失ってしまう。耳の奥の三半規管が平衡感覚を司っているときくが、気圧の上下にやられてしまったのだろうか。それが星に居つくための器官ならまさしく体の中心といえるだろう、体の中心は小さな貝殻なのだと思うと不思議な気持ちが不安な酩酊感に混ざり始める。座っていてもぐらぐらと揺れるので仕事を部分的に休ませてもらった。台風が過ぎた後の窓の外は嘘みたいに冷たかった。あんなにも9月の頭を目印に生きていたのに、もう9月が終わりに差し掛かっている。

歌がまあまあできなくてかつ全く違う声のことばかり好きになると何が起こるかというと、歌で得た苦しさのようなものを体の中に抱え込むことしかできなくなる。楽器ができると音楽で得た苦しみをいくらか解放するけど(とはいえ私は楽器も碌にできないが)、歌で得た苦しみは歌でないと駄目で、そういうものがどこかでずっと煮凝っている。でも多分大抵の人はそうで、みんな同じだ。このあいだ人と話していて、高校の音楽の授業を抜け出したときのことを思い出した。歌の間に劣等感が拗れてその場にいることができなくなって、気分が悪くなったと言ってすぐ近くのお手洗いの個室に閉じこもっていくらかの残り時間を見送ったことがある。音楽の授業は1時間目だったので、その後、授業の前に個人的に授業をしてもらっていたのだが、結局家で声は出せないので意味はなかった。だからそれきりになった。(この話を誰かにしたのは一昨日、大学の後輩に話したのが多分最初だと思う。高校の人たちに明示したことがあったかはもう忘れてしまったし、どちらでもまあそうだよなと思うような気がする。)

例の公演で歌があった。それは平気だった。乗り越えたら何かが見える気がしていた、高いところに登ることも。