0914

頭はまだずっと痛くて、仕事は緩やかなのが救いで、本はなかなか読み進められず、昨日久しぶりに長めにストレッチの時間をとったからか多少体が生き物として感覚を持っていたような気がする水曜日。金曜日にいきたい場所があって、行けるだろうか、許されるだろうかと考える必要もないのに考える、例えばスライスチーズがまるまる一枚配られて気が引けるようなとき、母曰く昔のことが染み付いているのだろうとかなんだとか。

友達の誕生日、そのことに出会って以降は誰がいなくなろうともその人の誕生日として私の日々に記録されるもので、とはいえあまり突然祝うのもと思えば気が引けて、SNSの更新を確認して何もできなかった。先日久しぶりに会えて嬉しかった。

近々始まることについて考える。準備が足りていないので追いつかなければいけないのはもちろんのこと、考えているのは、今までいつでもあった途中で無に、あるいは嫌になってしまう瞬間と、途中で嫌になるならば好きではないのだろうというある種のピュアさをもった諦めのことで、多分その通り、その通りなのだが、それを諦めながら続けるのではなく、併存して続けることが可能性としてあるのではないかということを考えていて、どうでしょう、数十日後の私。