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その詩人のことを、私は訃報で知った。移転が決まっていた書店のスケジュールを確認しようとアカウントを開いたときだったか、何かの拍子で私は初めてその名前を知った。詩集を買おうとしたが、大型の通販サイトで出品されているものを前に悩んでいる間に売り切れてしまい、出版社のサイトを見ても在庫切れになっていた。きっと私には縁がなかった、それに私よりもこの人の詩が必要な人がいるはずだ、そういう人の手に渡ってくれたらそれが最も良いことなのだと、そうして私の記憶からその名前は緩やかに消えていきかけていた。1週間ほど前にふと思い返してその名前を調べたら、アカウントは削除される方針であること、今後何らかの出版が行われる可能性があること、当人や周囲に対して良くない働きかけがあったのであろうことが書かれていた。

今日も今日とて汗ばみかける春の陽気で、医者にかかりたくてバスに乗ったはずの私は、今からだと6時間プラスマイナス1、2時間待ちですと言われたことでまあ今度でいいかと諦めて、電車に乗って意味もなく遠回りをしていた。それで、そういえばあの書店はもう移転していたのだったなとふと思い出して、歩くのにもちょうど良い気候だったので馴染みのないとはいえない距離にある駅を降り、少し迷って少し歩き、途中に小さなコーヒー屋さんを二つほど見送りながらあっさりとそこに辿り着いた。広くも狭くもない店内には書店として本がたくさんあって、私が見たかった現代詩の棚は入り口から対角線上の一番奥にあった。並んでいた詩集を手に取って、めくって戻してを繰り返しながらある棚の上段に視線をやったとき、息が止まる思いがした。画面で見たその表紙を覚えていた。あの故人の詩集が二冊、そこに並べられていたのだった。青く着色された厚紙のカバーは少しほつれていて傷口のように白が見えた、不思議な気持ちで手に取った。

帰りはある程度歩いた。それなりに疲れて、歩数計をみたら疲労の度合いと紐づいている数字の半分より少ないくらいで、当たり前に生じている衰えが可視化されることは思いのほか傷つかないものなのだなと思ったことを余談として。