0902

夢が内臓に与えた温度のことばかり夜まで覚えていることが最近は多い。温度の鮮明な夢ほど抜け出すのが難しくなる。そういうことで、今朝は寝坊をした。8時半。出社の日でなくてよかったと考えつつ、心は特に何も思わないのできっとばちが当たるのだろう。作業で終わる日は頭は疲れるけれど気持ちが楽で、少しくらいなら考え事もできる。昼食の時に家族が見ていたバラエティ番組を思い出すのだ。有名な映画について、それを好きな人たちが語るという内容だったのだけれど、その切り取られ方に言いようもない気持ちのもやつきを感じて、そのことが頭から離れない。基本的に有名な映画群は苦手であることが多いのだけれど、それはその作品というよりも作品よりも間近に迫ってしまったそれを語る声の方が苦手なのではないかということに、それでようやく気がついたような気がした。その作品を摂取し、あるいは好むことで、まるでその声たちに私が同化したことにさせられてしまうのではないか、そういうことが不愉快で不安だった、のかもしれない。なんでも、遠回りで構わないから自分の偶然で出会いたいと思っているのは、もしかしたら、とそんなことを考える。

それにしたって、勇気をもらえるからとか、癒されるからとか、結果的にそうであることを悪いとは決して思わないけれど、そこを枠にして看板にして語ることはどうにも無粋であるような気がしてしまう。いい子だからとか、そういうことでキャラクターを肯定するのも、どうにも腑に落ちないものがある。社会的良し悪しそのものが判定の数値に反映されるような感覚とは、まだ距離を置いていたい。