0505

私にとって本、とりわけ小説を読むという行いには、どこか戦うことに近いニュアンスを含んでいるという気がしてならない。どうも娯楽という気がしないのだけれど、必要なことだと思う。それは役に立つからというのではなく、もっと例えば食欲的な何かのような気がする。

好きな人の好きな本を知ろうとする。好きな文章を書く人の好きな本を知ろうとする。今はもう嫌いになった人の本が読みかけのまま私の部屋にまだあって、交換で貸した本はよくわからないと言われて返されたことも思い出し、記憶の中の陰に唾を吐く。わからなくていい。悪いけれど、今は顔も思い出したくない。

去年の夏頃に予約をしてずっと順番待ちをしていた本があろうことかこのタイミングで回ってきて、今読んでいるところで。息継ぎをするようにページから視線を剥がしては、その向こうにもういない古代生物がぽこぽこと繁殖していくのを眺めている。ポップなリズムで足が跳ねて、真上の水面に飛び込んでいく泡がきらめいて散るのを眺めている。手元の文字に意識を戻すと、夏の太陽でアスファルトが焦げている。輪郭のある世界とは常に戦っている意識。たまに溶ける瞬間がとても気持ちいい。多分個人という枠組みに全然興味が持てなくて、その上処理能力も高くないからすぐに登場人物を見失う。それでもなんとか読み終わった。二冊。

 

頭の上で、化け物が何かの汁をすすっているような音がした、と思ったら、建物の外壁にペンキか何かを塗っている作業員の姿が目に入った。日差しが重さを増してきたと思う、5月、遠くには行けないし行かない。予定していた舞台は当たり前のように中止になって、私はふらふらと過ごしていて、それで十分だった。人は眠ったり眠らなかったりして、高架下、太陽が光らせる木々を知らない夫婦がくぐり抜けていく。例えば駅のホームで寝転がりたいと思えるうちは正気だという指標がある。首元に手の気配がずっとあった。いつかうっかりしてしまうのではないかと思っているうちはうっかりしないから大丈夫だと思った。けれども、もし会ったら聞いてみたいことが色々とあって、もうとっくに架空なのでそんなこと起こらないのだけれど、でもあって、いくつか考えてみる。こんな気分になったことはありますか。特に何があったわけでもないけどばらばらになりそうな体感のことを信じますか。それをどう思いますか。