0625

夏至が嬉しい人になろうと思った。何をしていいかわからなかったけれど、退勤後の外の空気はとても明るくて空が綺麗だった。写真を撮っていたら近所のおじいちゃんおばあちゃんが優しい目を向けてくれる。高校生のとき、休日に早く起きて写真を撮り歩いていた時期があって、その時話しかけてくれたおばあちゃんのことを思い出したりする。ベビーカーに連れていた白と黒の犬は、年だと聞いていたからもういないのかもしれない。

あの森、なんなんでしょうね。そこにいた4人のうち4人が、この辺りの地理に明るくなくてと言う人だった。全て割れてしまえばいいのにと思うほどに群生するビルの猥雑、その中に鬱蒼と茂った森のことを、エレベーターが来るまでの間じっと眺めていた。どこにあるのか、何としてあるのか、何一つとしてわからない森が、燦々と降り注ぐ夕陽を集めて光っている様子は正しく神聖なものであるように思われた。エレベーターがつく音がして振り返る。暗い廊下に風景の残像が浮かんでいる。ぽっかりと空いた光の中に台車を引いて乗り込むと、ドアが閉まる、静かな雑音がいくつもいくつも重なって、静かなままで耳を埋め尽くしていく。轟音。去って、トンネルを抜けた視界を緑色が埋め尽くす。電車は都心へと向かう最中、気づけば木々に取り囲まれていた。これがあの森かもしれないと思った。駅の名前を見ようか、地図を見ようか、やっぱりやめようか。ない森を見ていたと思う方が面白いと思った。普通反対かもしれない。近づけば見えるのに、航空写真には映らない森。

胸の奥に生温い水がちゃぷちゃぷと揺れている気分で、きっと悪いことではない。太陽は透明な光の塊だった。

何かとても大切なことを忘れてしまったような、軽やかな空虚とともに目が覚めた。不思議な朝だった。